SSDCでは、2つのテーマの事業創造デザインプログラムを2021年7月より開始いたします。
詳細は以下をご覧ください(メディアサービス「note」に遷移します)。
SSDCでは、2つのテーマの事業創造デザインプログラムを2021年7月より開始いたします。
詳細は以下をご覧ください(メディアサービス「note」に遷移します)。
氏田雄介『54字の物語』(PHP研究所)に次のような話が載っています。「未開の星に高度なテクノロジーが伝来した。その星の人びとは馬車の馬を精巧なロボットに置き換えた。」これ、笑い話ではなく、現実の社会で起こっていることです。高度なテクノロジーがあれば馬車にこだわる必要はありません。自動車や飛行機や宇宙船が(ひょっとしたらタイムマシンも)作れるのです。AIやIT(面倒なので以後AITと呼びます)を導入すれば仕組みを根本的に改善できるはずなのに、従前のやり方の一部だけをコンピュータ処理しようとしているシステムの多いこと。
我々は社会システム自体をデザインし直すことを目標に活動したいと思います。社会のデザインとそれを支える技術は車の両輪、鶏と卵の関係で、どちらが先というものではなく、両方を回しながら進んでいくものと考えています。技術が進歩すれば新しいことが可能になりますし、新しい応用がまた技術を進めます。何が可能で何が難しいかを知らないとデザインできません。だからこそソフトウェア技術を持った集団が社会デザインに取り組む意義があります。
「デザイン」というのは狭い意味での意匠のことではありません。仕組みの設計のことです。AITは社会の仕組みを根本から変える力を秘めています。情報というのは物質やエネルギーに並ぶ世界観です。この世界/社会を情報という観点で眺め、情報という観点で扱うことによって、これまで不可能と思われていたことが可能になります。エネルギーの効率的利用もAITによって可能になりますし、最新の天文学の成果であるブラックホールの写真もAIT抜きには実現しませんでした。情報は物質やエネルギーの限界を超えられるのです。情報は物理法則の制約を受けませんから、思いつきさえすれば実現可能です。SFのレジェンドであるジュール・ベルヌが次のような言葉を残しています。“Anything one man can imagine, other men can make real”(誰かが思いつけるものは他の人々が実現してくれる)。情報を中心にした新しい社会をデザインし、この社会をAITでより良いものに変えていきたいのです。
新しい便利な道具とそれを活かす仕組みをデザインし、それで世の中を住みやすいものにして行くことを目指したいのです。企業という組織のあり方も見直すのが良いでしょう。特にソフトウェアを生業とする人たちは既に働き方が変わって来ています。特定の企業に属さず、特定のプロジェクトに参加し、自分の得意な部分を受け持つという働き方です。メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への移行です。これを社会全体で効率良く行うためにはウェブ上に個人の得意分野や働き方の希望などの情報を登録しておき、仕事が発生した時にこれらとの最適マッチングを取るというAI技術が必要です。このようなマッチングのプログラムを作っておくことによって世の中の働き方改革ができるのです。
日常生活上の煩雑な作業を自動化することも様々な分野で考えられます。増えつつあるメールの内容を読み取り、自動的に処理するプログラムがあればずいぶん助かります。また、個人の確定申告ですが、もっと自動化できるはずです。また、ジョブ型雇用になると収入の単位が給与ではなくなりますから確定申告も煩雑化し、今の方式ではパンクしそうです。マイナンバーがあるので全てのトランザクション中から特定の人の収入を把握できるはずですから、あとは必要経費の計算だけのはずです。このような、税金計算がほぼ自動でできるシステムを構築して国税庁や市町村の税務署に使ってもらえば良いのです。
現在AITリテラシーの教育の必要性が強調されています。全ての人がAITの力と限界を理解し。生活や業務に使えることが重要です。大学でも専門分野にかかわらずAITのリベラルアーツ教育が必須です。しかしながら残念なことに、これらを教える人材は不足しています。私はAITの教育を行うAIプログラムを早急に開発すべきだと考えています。個人の理解の程度に応じた知識を与えるプログラムを作ることによって個別に最適な教育を与えることが可能になり、教育の効率と質が上がります。特にAITの教育においては実際にプログラムを作ったり変更したりして走らせる経験もコンピュータ上で容易に実現できます。
ここで述べたのはほんの一部の例に過ぎません。様々な分野で社会を良くする仕事ができれば良いと思いますし、SSDC自体がAITを自ら活用するジョブ型雇用組織に変わって行くことも大事だと思います。
情報処理は想像力の勝負です。
多くの企業では、イノベーションを経営テーマに掲げる。経営陣の多くは、 AIやクラウドという言葉に焦りを感じ、さらには他企業と組むことを標榜し、 本来は手段を表すそれらの言葉を目的のように用い、優秀な社員を集めて、「オープンイノベーションを起こせ。」と号令をかける。「イノベーション難民」がこの数年、顕著になっている。それは、見識なしに新規事業探索部門を作った結果、どうしたら良いかわからない人材が増えている現象だ。日本語ではベンチャー企業と呼ばれる小さな会社を英語ではスタートアップという。「立ち上げる」という意味で、新規事業開拓のために起業された会社を言う。その中で情報通信技術を背景に起業された会社が技術系スタートアップだ。この種の会社に対して、多くの伝統的既存産業に勤めるオジさん・オバさんは、ジーンズを履いて、会社ロゴをプリントしたTシャツを着た、ちょっとチャラい若者か若者気取りの中年が、展示イベントでデモをして、ビジネスモデル設計を後回しに夢を語って、デモの打ち上げでは味の薄い瓶ビールを片手に「イノベーション」という言葉にハシャイデいるという印象を持つのではないかと思う。半分は当たっている。
情報技術(IT)業界では、「それをやってはダメでしょう」という失敗パターンをアンチパターンという。ここで二つのアンチパターンを命名したい。一つは「魔法の言葉」だ。1990年代 ニューロ・ファジィ家電という言葉があった。洗濯機、エアコン、電子レンジに人間の思考や行動の曖昧さを取り入れたと謳う家電製品が登場した。その実態はマイコンと呼ばれる家電を制御するコンピュータ部品を導入した自動化だった。その技術のキャッチフレーズが「ニューロ・ファジィ」、「魔法の言葉」というアンチパターンは、「ユーザーへの提供価値を訴求するのではなく、ユーザーには本質が理解できない技術用語で先進性を訴求して製品・サービスを売る」ことを指す。近年はAI(人工知能)が、その魔法の言葉になりつつある。 AIという言葉を使えば、「よくわからんがなんかすごいそう。人間と同等の知性があるのでは」という魔法をユーザーにかけるような事例が多い。
次のアンチパターンが「手段の目的化」だ。これは「IT分野の流行り言葉に踊らされた経営陣が本来の目的と手段を取り違え、流行りの手段を目的にプロジェクトを進めた結果失敗し、以後、その手段が禁忌となってしまう。」ことをさす。結果として魔法の言葉の使い手によって焼畑農業のように多くの企業の新規事業部門が次から次へと燃えて無くなっていく。企業が生き残るにはデジタル変革(DX)は不可欠だ。競争相手の経営効率化は進むし、デジタルを使った連携ビジネスも生まれる。生き残るには「デジタル」という意味でAIとDXを使うしかない。
アンチパターンである「魔法の言葉」と「手段の目的化」を避けるにはどうしたら良いか。「ITそのものには興味がない。技術提案は一切聞かない。ITの開発よりもITを使う方がボトルネックだ。使い方を鍛えなければならない。」と土屋哲雄ワークマン専務取締役(当時)は言う。ワークマンの行なっているデータ経営の基本は、どのような製品を開発し、どれだけ調達し、店舗に配置し、どのように販売するかというサプライチェーンマネージメント(SCM)の全社員による最適化だ。それをマイクロソフト社が開発し販売しているエクセルという表計算ソフトだけで行なっている。大事なのは手段じゃない、新規事業創出という目標とそれを追いかける情熱だ。そのために枯れた技術を使い切る。
東京大学の森川博之教授らと共同で毎年数十人の情報通信技術(ICT)企業の中堅技術者と起業家を集めて合宿をやっている。 7年前の合宿でイノベーション難民を救うべくSONY執行役員の島田 啓一郎氏(当時)と一緒にまとめた「大企業でやるイノベーションの条件」というのがある。それは以下の5条件からなる。
1.資産の利用
2.最上位の企業理念に合致
3.本社・本業から隔離
4.トップの支援・権限委譲の明言
5.制度整備への対応
1と2は分かりやすい。新規事業を起こすのに、その会社の経営理念、人材、技術・知的財産、製品・サービス、文化・風土、ブランドを利用する。そうしないのであれば、独立して起業すれば良い。重要なのは3だ。失敗を前提として新しい事業ネタを探すためには既存事業とは違う行動規範が必要となる。経営者によっては、「私の直下でやれば良いんだ。」という人もいる。その人がリスクを負うスーパーな社長なら正しい。敢えて極論を言うと、安定志向のフツーの社長直下ではダメだ。新規事業は既存事業と競合することが多い。これまでの商流を壊したり、他部門や取引先と重複した製品やサービスと見なされると「調整」という作業に膨大なエネルギーが中間管理職で費やされる。 また、複数の幹部を集めリスクのない新規事業を探す傾向が強くなる。それは失敗のしようのない凡庸な計画となってしまう。次に大事なのが4だ。隔離した組織は自律的に運営することが重要だ。未来への不確実さに対応するために、予算と権限が経営陣から委譲されていなければならない。5は技術・市場の進化に法制度が追いつかない状況で、環境整備しろと言っている。 遠隔医療、ドローン、自動運転、仮想通貨などがその好例だ。5条件を満足する良い例はないか?
筆者は6年前にNTTドコモにおいて39worksというプログラムを作った。そのプログラムの下で自分が興した新規事業が(株)みらい翻訳だ。それを5年間半、大学の教員とみらい翻訳の社長を今年6月まで兼務していた。なぜ、本体でこの新規事業をやらなかったのかはお分かりかと思う。学んだことは以下の2つだった。
1.研究と事業は一体と考えて、事業として研究を行う高速開発能力が必須となる。2.ローカルデータに注目してそれを収益化できるかどうかが生死を分ける。世界同時進行で最新技術が開発され、その陳腐化(コモディティ化)が一気に進むために難しい論文を読む一方でそれを即座に実装する能力が問われている。研究と実装なしに事業化はなく事業化なしにデータは集まらない。 ローカルデータの存在も必須だ。「ローカル」とは米国や中国の巨大ITグローバル企業が扱わないという意味だ。例えば医療現場の会話、どこにも出したくない契約文書、知財交渉の記録が例になるだろう。データがローカル(局所的)に偏在しているところに日本企業の商機がある。本社・本業から隔離され成功まで失敗を繰り返すには勇気と熱意がいる。追加条件があるとすれば、それは現場の事業化への情熱だろう。その熱量が組織を回すエネルギーとなる。近年、新規事業に別会社を作る例が増えている。5条件+情熱の観点で見てみると良い。本気度がそれで分かる。
富士通株式会社シニアフェローの宮田一雄氏は「ソフトウェアをアメリカはビジネスにした。ヨーロッパは科学にした。そして日本は製品にした。日本は製造業のアナロジーでIT産業を捉えてしまったから、DXをできないでいる。」と言う。原典はマサチューセッツ工科大学クスマノ教授の著作「ソフトウエア企業の競争戦略(2004)」にある。 日本では、ソフトウェア業界は受託と納品で儲かっていた。「プロジェクトマネージャー」と「プロダクトマネージャー」の違いをご存知だろうか。前者は多くの企業の管理職の業務として良く聞く言葉で、それは与えられた計画を実行するリーダーを意味する。一方で、後者のプロダクトマネージャーはその製品の事業について責任を負う「製品CEO」だ。言葉は似ているが後者は常に経営判断する資質が要求される。このためにソフトウェア業界ではプロジェクトマネージャーがいても、プロダクトマネージャーが育たなかった。私の経験では世に必要な技術者は3種に分類される。職人、研究者、イノベーターの3つだ。経営者は技術部門に対して2つのことを期待する。一つは事業部門の求めに応じて技術を提供する受託開発である。これに対応するのが職人型技術屋、略して職人だ。現場から信頼され、自分の腕で問題解決と製品開発を行って事業貢献を実感する。 経営者のもう一つの期待は、技術で新規事業を起こすことである。ピカピカの新規技術の開発が前提とされるので、必要な人材は職人ではなく研究者となる。彼らは世界トップを走る自分の先端技術が事業に繋がることを夢見る。彼らにとって所与の世界は実にイゴコチが良い。しかし、ここに見えない線引き文化がある。経営層は職人には「君らは技術を磨きなさい、君らの仕事は事業を見ている僕たちが与えるから。」、研究者には「新規事業のネタになる世界トップ技術を提案してね。良ければ採用して事業は僕らが考えるから。」と考えがちだ。ここに大きな落とし穴がある。それに気づいている企業人は、以下の文章を読む必要はない。そうでない人は、産学の人材育成を考え直す必要がある。情報通信分野は新規技術そのものよりも、想定した新規事業に合わせて最良の技術を組み合わせる設計が大事になる。初期段階からビジネスモデル設計と技術開発を同時に行うことが重要となる。それができる人は技術者の枠を超えて世の中を知り尽くした「スレた技術屋」だ。ここではカッコよくイノベーターと呼ぶことにする。
イノベーター人材育成が重要だ。それに対して企業では属人的な教育しかなく、大学はトップ研究者育成志向から抜けきれない。世の中の研究開発の生産性を上げたいなら、技術だけでなくビジネスを同時に教えるべきだ。最新の技術開発とビジネスモデル設計が同時並行して進む破壊力を想像して欲しい。技術屋を「技術」に押し込んではだめなのである。技術と事業は不可分である。このマインドセットを技術者に持って欲しい。地べたを這って仕事を「自分ごと化」できる人でないと、新規事業はできない。自分ごと化は会社の問題を自分の問題として一人称で主体的に捉えることで、どんな会社でも必要だ。
「現在の社会生活で解決したい課題をAI ・IoT・ロボを活用しビジネスとして成り立たせる」がこの組織のビジョンとして述べられている。これは,私が述べた「技術が分かっている人材が職人に成り下がっては行けない」という主張と一致する。私はこの組織で技術とビジネスの両方がわかる「スレた技術屋」を育てたい。スレた技術屋は自分の領域で生まれる単品製品だけでなく、産業横断の化学反応を起こせるカタリストにもなれる。そうすれば、ソフトウェアをビジネスにできる。体系的知識に加えて、スレた技術屋になれるスキル、そして、世の中を変えていこうと思う情熱をこの組織で涵養していきたい。
2年ほど前から熱中小学校の特別教諭を拝命している。熱中小学校?ん?何それ?という向きのために、まずその概要をHPトップから転載する。
2015年10月、山形県高畠町に「起業家精神・最新技術・里山文化」を学ぶ学校“熱中小学校“が誕生。2018年8月に熱中小学校初となる30名の卒業生が誕生しました。楽しいことをしたい方、何かを始めたい方、ぜひ熱中小学校で一緒にその夢をかなえませんか?熱中小学校にはワクワクが溢れています!
https://www.takahata.necchu-shogakkou.com/
大人が「もういちど7歳の目で世界を・・・」というコンセプトで、廃校になった小学校校舎の有効活用も図るこのプロジェクトは、山形・高畠を嚆矢として、現在は北海道から宮崎まで国内14校、海外も米国シアトルに第1号校がスタートしている。本プロジェクトの創立メンバーで「用務員」として采配を揮う堀田一芙氏とは、同氏が日本IBM、私が東京三菱銀行(当時)システム部に属していたころからの縁もあって、「特別教諭」という権威ある(らしい)お役を仰せつかった次第。
私の第1回授業は2018年8月、上記高畠の卒業式の出し物。「地方創生に貢献=団塊世代の心得」と題して、50~60歳代を中心にその前後の年代も含めて50名あまりの生徒さんと1時間あまり、授業と質疑応答のひとときを過ごした。私自身が1948年生まれの団塊世代で、その大きな集団が古希を過ぎるなか、「若い世代のお荷物になってはならない。明るく元気な人生を送ることが、自分にとっても周囲にとっても極めて大切であり可能である」ことを強調した結果、まずまず好意的なコメントをいただくことができた。(これに反対する人はいないだろうが。。)
気を良くしていたところ、昨年は鳥取・琴浦町、シアトル郊外のベルビュー市からも声がかかり、4月と6月に出張授業に出掛けた。さらに今年の2月には徳島・上板町と盛況が続き、回を重ねるごとに(ほぼ同じ趣旨を繰り返しているので)負担感も減り、私自身の熱中度が高まっている。失礼ながら、琴浦も上板もそういう理由がなければなかなか訪れる機会のない場所であるが、行ったついでに琴浦では鳥取砂丘、上板では鳴門のうず潮と文楽と、プラスアルファの楽しみもあった。
以下はとくしま上板熱中小学校での授業(「人生100年時代の到来=明るく元気に長生き」2020年2月22日)の抜粋。
わが国で100歳以上の高齢者は2019年に初めて7万人を超え71,274人に達した。同年度中に100歳に到達する人は約37千人。1919年の出生数は1,778千人だったから、50人=つまり小学校のクラスに1人が100年人生を経験する時代になり、その比率はますます高くなるだろう。もしかして自分も、と考える時代。昔の童謡「船頭さん」には「今年60のお爺さん」という歌詞があったが、今は70過ぎても「爺さん」の自覚なし。
人生100年に向けて3冊の参考書籍を紹介したい。第1は、『LIFE SHIFT-100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットンほか、東洋経済新報社、2016年)。人生が60年から100年になれば、学生~仕事~リタイアの3段階の真ん中=現役期間がほぼ倍増する。この50~60年のなかで職場や働き方を2~3回変える、ステージの合間には少々の息抜きと新たな知識や技術の学びというのがグラットン先生の提案。熱中小学校の発想と近い。
人生100年となれば、1948年生まれの私は2050年近くまで見届けられる計算。そこで第2は『2050年の技術』(英『エコノミスト』編集部、文藝春秋社、2017年)。21世紀は、コンピュータと通信技術の幾何級数的進歩がもたらすデータの時代。技術進歩のお蔭で食糧危機は起きず、エネルギーは潤沢、医療も飛躍的に進歩する。AI・ロボットが人間の仕事を代替し、人間ではできなかったこともできるようになる。
そして第3のお薦めは『新ビジョン2050』(小宮山宏ほか、日経BP社、2016年)。20世紀=高度成長期はモノの豊かさを実現してきたのに対し、21世紀は「飽和」の時代、質の豊かさを実現できる100年。世界の人口は増加を続けているが、先進国は人口減少に向かいつつあり、新興国も豊かになれば人口爆発が止まる。21世紀後半には飽和点に達する。工業製品は広く世界に行きわたり、資源リサイクル、省エネにシェアド経済の浸透で、モノへの需要はさらに減る。新技術はQuality of Lifeの改善を目指す。
これらに対し、将来社会を警戒的にとらえる見方が『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(ユヴァル・ノア・ハラリ、河出書房新社、2018年)。情報とバイオの双子の革命が進むなか、人間至上主義はデータ至上主義に変容し、一握りの超人と大多数の無用の人間という夢のない世界が出現する可能性を警告する。私は、その対極ともいえる『21世紀の啓蒙 理性、科学、ヒューマニズム、進歩』(スティーブン・ピンカー、草思社、2019年)をお薦めしたい。長い目で見れば世界の様々な問題は改善している。理性・科学・ヒューマニズム・進化を正しく適用すれば世界はよくなる。温暖化・災害、ポピュリズム・二極化、テロなど目先の悲観論にクヨクヨしなくてよいとの有り難いご託宣。
もちろん現実の世界には、解決すべき厄介な難題が山積している。が、課題解決の手法も、20世紀と21世紀では異なることに注目したい。20世紀後半、日本の高度成長を背景に発生した公害や大気汚染などの社会問題への対処は、基本的には政府の仕事とされ、物量(モノ、カネ、エネルギー)の投入による解決が図られた。21世紀、財政余力も制約を受けるなか、社会課題の解決は、使っても減らない情報・知識と、無限の可能性を秘める技術と人間の知恵を原動力とすべきである。民間企業やNGOが、オープンイノベーションを活用してビジネスとして成立・持続し得るソリューションを開発・事業化する。政府はそのサポートに徹するのが望ましい。
イノベーションが社会課題解決をもたらす代表例は、電気自動車である。それは単にガソリンに代わって電気自動車という新製品が登場するだけではない。電気自動車+ライドシェアの組み合わせで、自動車の所有+走行コストは、ガソリン車の1/4~1/10になる。自動運転も付け加われば、交通事故も交通渋滞も解消、道路も狭くてよい。当然ながら、省エネ、環境・温暖化問題の解決にも結びつく。これを皮切りに、徳島では、エネルギー、食糧、医療の各分野におけるイノベーション、課題解決の事例を多数ご紹介したが、紙面の制約もあり省かせていただく。
いま日本が突入しつつある超高齢化社会も、様々な新技術とイノベーションを活用することで明るい展望が開ける。ただし、間もなく後期高齢期に達する団塊世代は、何しろ人数が多いだけに、社会への負担を軽減するよう自らも努力することが求められる。医療・介護費用増大が深刻化するなかでは、まず何よりも病気にならないこと、医者・病院の世話にならないことである。欧米と比べ日本人は平均入院日数が長い。だが、長期間の入院が筋力低下、認知症発症などのマイナスを生むことも見逃せない。
そのうえで「お迎え」がきたらときにはあっさりと別れを告げる、いわゆるピンピンコロリは、私を含む多くの人の密かな願望であろう。そのためにも、その日までを明るく元気で幸せに過ごすこと、これが「団塊世代の心得」である。
「幸せな加齢の5条件」は、①栄養、②運動、③人との交流、④新しい概念の受容れ、⑤前向きな思考、とされる。心身ともに元気で長い人生を送る秘訣であり、団塊世代の心得ともいえよう。熱中小学校は、必ずしも高齢者だけを対象とするものではないが、5条件の後半の3つをしっかり充足する。生徒さんもそうであると同時に、特別教諭の私も、初めての土地を訪れ、勝手なおしゃべりをしながら仲間を増やす、そこには新鮮な驚きと発見も少なくない。高齢者にとっては、地方都市に出掛けることも運動と言えるし、特産の美味いもので栄養もつけられる。まさに願ったり叶ったり、熱中小学校に熱中する所以である。
そんな実り豊かな徳島旅行から戻って10日も経たぬうち、世は新型コロナの大騒ぎとなった。三菱総研も3月3日から原則在宅勤務に切り替わっている。不要不急という言葉には少し抵抗もあるけれど、たしかにリモートワークでも仕事は何とか回る。むしろ出勤のわずらわしさが省ける利点もあるが、それには運動不足のリスクを伴いがちである。幸い、私はSSDCの本郷オフィスから徒歩5分の距離に住んでいるので、朝9時過ぎにSSDCに出勤し、何もなければ夕方までそこで過ごすワークスタイルが日課となりつつある。いずれ、これにも「熱中」する日が来るかもしれない。
崇高な目的に向かってスタートした社会システムデザインセンターも事務所開設から1年。これまで、多くの方々と気持ちを共有し、助言や、支援をいただきました。心より感謝します。この一年を振り返り、また新たな一年に思いを巡らせてみたいと思います。
IT業界に身を置く私はかねてより多くの人と、SI業界の功罪について議論を続けてきました。いわゆるSI業は日本独特の業態です。欧米に同様の形態はありません。先の見えないものを決まった金額で請け負うことは常識的に考えられないからです。発注側はできるだけ先々を想定して要求仕様をまとめます。受注側は仕様を満たしコストを最小化し請け負います。お客様に満足いただくためにQCD(品質・コスト・納期)を追求し、場合によっては赤字でも貫徹します。長い年月で改善されてきていますが本質は変わりません。発注側と受注側の駆け引きに膨大な時間と労力を使います
日本には、IT関連に関わる労働者は100万人いると言われます。お陰様で業界は人手不足とDXの推進によりコロナ禍でもなんとか堅調を維持しています。しかし、振り返ると30年、製品やサービスの日本製はほぼ壊滅しました。
もちろん、SIのいいところも沢山あります。しかし、ひょっとして、SIerが日本をダメにしているのではなかろうか?優秀なエンジニアやコンサルタントが多くいるIT業界で、QCDにこだわる我々が、どうして世界で、少なくてもアジアでリードできないのか。こんな気持ちが静かに深く私の中に沈殿していきました。アポロ計画のように、同じ目的に向かってインハウスで協働する仕組みは、なぜ日本のIT業界だけできなかったのか。見渡すと形は違え、同じような日本の社会システムの不条理な構図が、行政、教育、司法、医療、税務、各方面に見られます。こうあればいいのにという素朴な疑問は調べると様々な規制や慣習にすぐぶつかります。日本ひとり負けの構図は何らかの共通点があるのではないだろうか。
これからは、世のため人のためにと目指してきた優秀な日本人の頭脳や、誠実な人柄は、本当に世の中のために役立つように、一つずつ社会システムをデザインし直していくことにベクトルを合わせることが必要です。実行能力は日本人の得意とするところです。受け身体質で穏やかな日本人が、静かな闘志と誠実さ、丹念な仕事で、先端の科学技術を活用し、素晴らしい製品やサービスを生み出し社会をバージョンアップさせることができるはずです。しかしそれはIT業界だけで、ましてや一企業だけできるわけがありません。
そんな思いから、かねてより心置きなく議論を重ねてきたAI科学者の中島秀之氏とSSDCを設立しました。日本の科学技術を使って未来の社会づくりに活用し、あるべき姿の社会システムに変貌させよう。それを、ビジネスで継続させたい。
シンボルマークは羅針盤の針が北極星を指し、意見や利害の対立があっても目的のためにぶれずに協働するさまを、デザイナーの雨海直子氏が手掛けてくれました。初年度は知り合いのIT業界の方に、2年目以降は他業界の方々に徐々に参画をしていただきたいと計画しました。いつの日か、日本の科学技術を駆使し、人と社会の豊かな未来をつくるビジネスが、若い人たちを中心に、まるで苗代のように(実家が農家なものですから)沢山の苗が大いに育つイメージを抱きつつ活動をスタートしました。
1年目の成果は、北村和久氏を中心に、「事業創造デザインプログラム」をリリースしたことです。ここ4、5年実践してきたDesign Thinkingの手法で問題を深掘りし、課題解決策をプロトタイピングし、Job理論で価値を確認し、Lean Startupで素早く事業を立ち上げるという一連のワークショップをつくり、この1年で4回開催しました。明治大学理事の青柳勝栄氏の協力や、明治学院大学の岩尾俊兵氏の助言をいただき、学生と会員企業の若手社員を交えて成果発表までこぎつけました。
ここ1年、北村氏は、数百の書籍、数十のセッションを分析し、多くの先生方に助言いただきながらレベルの高いプログラムに仕上げてくれました。特に堤孝志氏には、熱量の引き出し方、手法の神髄について多くの教えをいただきました。
栄藤稔氏にはSSDC初のシンポジウムを主幹いただき、大変な反響をいただきました。
栄藤氏でなければこれほど次元の高いシンポジウムはできなかったと思います。その過程で紹介いただいた、丸山宏氏との話し合いの中で、社会システムの難しさを解くきっかけを教わりました。それは、かねてから中島秀之氏が標榜している、社会システムをデザインする事業の本質的概念です。
私は当初、ニーズがあって、それを提供すれば、そのうち社会のシステムを改善することにつながるだろうと考えていました。しかし、いくらワークショップで身近な課題を解決してビジネスに結びつけたとても、社会の課題を解決することにつながる感触は得られず、両者の距離を感じていました。近江商人の三方よしは、ビジネスの規模が大きくなれば社会をリデザインすることにつながると勝手に思っていました。大きな間違いでした。丸山氏は、通常のビジネスでは、消費者と供給者で二項対立が成立するが、社会は自身も参加者であるため成立しにくいと教えてくれました。多くのビジネスは、社会よしは後付けであって、初めから社会をよくしていくことをデザインしていないのではないか。そもそも中島秀之氏の言う「顧客」という呼び方が既にビジネスドグマにとらわれていないか。そのための設計や仕掛けが初めから必要であることに気づきました。
SDGs推進者や社会事業家やNPOの方々と多くの情報交換や交流を持ちます。彼らの活動は本物であり尊敬していますし、大変勉強になります。事業としての迫力と面白みを感じつつも、何とかビジネス化できないか頭を悩ませます。寄付や支援に支えられている限りは、社会の自由とダイナミズムを生み出しえないように感じてしまうのです。これからもNPOや社会事業家など様々な方々と協働し、社会システムをデザインすることに直接つながるビジネスを生み出すことができるか探索しようと思います。
自分が参加している社会と、受益者である自分と、提供者である企業が、お互いにメリットを享受し、利益を上げ継続するビジネスモデルを作り出す。社会課題の解決につながるものを丹念に見出し、アプローチやプロセスを工夫し、一つの太いチェーンをつくれればと考えています。そして、それにチャレンジする人には大いに豊かになってもらい、大いに学び続けてもらいたいと思います。そのためにも、今年はそんなエネルギーを持っている学生や、若者、弾けた大馬鹿者たちに会いに出かけようと考えています。
現実と理想、身近な問題解決と社会課題をつなぐ工程はビジネスと科学との接点においても同質の距離を感じます。ビジネスの基本はシンプルで需要と供給によって成り立ちます。科学は原理から仮説を立て、情熱と愛着により美しい理想の形を芸術的に作ろうとする過程です。ビジネスは実利が最初に来てすぐさま判断します。この隔たりは非常に大きいものがあります。やはり、北極星を定め、お互いに尊敬し合い、本質をあきらかにし、目的を共有することがとても大切だと思います。
それでは、SSDCは何をテーマで解決していきながらそれをビジネス化して継続させるのか。今年はSSDCらしい一つの事例が生まれる可能性があり期待しています。いわゆるベンチャービジネスは、自分の興味だったり、夢であったり、やる気とワクワク感に満ち溢れています。しかし、社会課題となると一気にテンションが下がり使命感とボランティア精神に頼りがちです。SSDCは「やってみなはれ精神」を大切にしています。小さくても自立できる事業や、なんだかわからないけど面白い事業も生まれるかもしれませんが、ゆくゆくは力強いビジネスに育つ、投資家にとっても魅力的な、社会をデザインするキラキラしたビジネスをSSDCから生みだしたいと思っています。
没後50年最近改めて、三島由紀夫氏の小説を読み始めました。三島氏は小説家であることにとどまらず、活動家として国体を問いました。企業経営者や科学者、官僚の方にも、表向きは穏やかですが、昔の小説に出てくるようなまさしく国士気概をもって生きている方々がいることを知っています。本気で、ワクワクしながら、新しい素敵な世界をつくろうと夢のためにピリッと立って生きていくリーダーを多く輩出できるよう、そんな人たち、老若男女が大いに語り、学び、実験し、失敗し、挑戦できる場をSSDCは提供していきたいと考えています。
社会のニーズと科学技術・AI/ITを融合し、幸せな未来を創りたいという理念のもとにスタートした、社会システムデザインセンター・SSDCも、はや1年を迎えました。
セミナー、サロン、シンポジウムなど、大学や企業の皆様の力を借りながら、沢山の事業を展開、少しずつその成果も見えはじめてきたように思えます。
野菜作りに例えれば、お天道様と肥料の力を借り、ようやく土づくり/苗づくりが終わり、沢山の芽が出、明日に向けた光が差し込んできた頃です。
今後は、大雨や台風などの自然災害など、さまざまな試練を乗り越えて、収穫にまで結びづけてもらいたいものです。
成功への道程のもとは、その人の思いの大きさによるのではないでしょうか。
五感をフルに活用し、現地・現物で情報を入手すると共に、数値データに基づく確かな分析を事前にしておくことは必須条件です。
SNSなどITの力を借りた、積極的な情報発信にも心掛け、沢山の人の共感を呼び、アイデアを練り上げるプロセスを経験しておけば、たとえ失敗しても、次の新しい課題への勇気が得られます。
小さな成功の積み重ねが、徐々にその取り組みの輪を広げ、日本/世界の仕組を変える力になることを期待しています。
ガンバレ SSDC!!
長い間、自動車会社で築いた経験をもとに、これから来る試練を乗り切るための参考にしていただければと思います。
私が入社した1970年代当時は、自動車の排気ガス規制、第一次オイルショックと、トヨタが自動車産業の中で、生き残れるかどうかの厳しい時代でした。当時は、燃費改善・CO2削減に関与する部署以外は仕事ゼロ。何も「スルナ」。工場敷地内の草取り、石ころ拾い、設備の清掃の毎日でした。1週間もすれば、草一本、石ころ一つ落ちてはいません。このとき、仕事のない苦しみを味わいました。初めて学校を出て、毎日草取り、電気をつけることは禁止、新しい紙や鉛筆を使うことなどは考えられません。今でも私の机の上には、当時使っていた2~3㎝と短くなった鉛筆を使うための鉛筆ホルダーがあります。当時を忘れないために、今でも利用しています。みんな苦しかった。
いま、コロナ、コロナと世間は騒いではいますが、当時に比べれば、まだまだ知恵の出し方が足りないような気がします。太平の世が続きすぎ、誰もがそれに馴れきってしまった。一度落ちるところまで落ち、生死の境をさまよえば、新しい知恵が湧いてくるかもしれません。
そのためには、
「もっと周りを見なさい。昔とは比べものにならない道具や通信インフラが揃っています。」
「SNSで声を上げれば、アイデアを提供してくれる人たちもいるはずです。」
「努力のないところに新しい生活スタイルはできません」
自粛期間中にコンビニにでかけました。人との接触を嫌がる日本人の店員さん。必要なことは必要と平気なそぶりの外国人の店員さん。頭が下がりました。私たちの生活の第一線を支えているのは、外国からの人達かもしれません。
「こころから、感謝。」
初めての配属先は生産技術部門でした。自動車を組み付けるための生産ラインの計画や、使用する金型、治・工具の設計・製作を担当する部署です。複雑な立体構造を紙の図面の上に表現するには、豊富な経験と能力を身につける必要があります。当時の設計部門の主力は、高校や高専を卒業した人達でした。
私は、彼らより2年も4年も年を取っているのです。「どうしたら彼らに追いつけ、追い越せるのか。」
そんな折に、ベテランの設計者に言われました。「君たち大卒はいいよなぁ。仕事も出来ないのに給料と昇格は早いのだから。俺なんか、定年間近でせいぜい課長どまりだからなぁ。」
このままでは、いつまでたっても彼らに追いつけない。経験を何かで置きかえる方法はないものか。当時、コンピューターを使って金型の自動設計/製図をしようとするミニプロジェクトがありました。
そこで、思い切って、そのプロジェクトに参加したのが、私のコンピューター/ITとのなれそめです。
当時のコンピューターは、メモリー64K、バッチ処理が主流でした。メモリーも気にせず、今のようにリアルタイムで処理できる世の中ではありません。当然、テレビモニターもありません。出力された紙テープを自動製図機にかけて出図するのです。
今から考えれば、幼児のままごと遊びのようなものですが、この時の経験で、いろんなDBの構造、OSの仕組が勉強でき、その後、トヨタでコンピューターに関係する仕事をする上で大きな支えとなりました。当時のメンバー5人全員が、トヨタで部長以上になり、関係会社の社長や役員をつとめました。
ここで思い起こされることは、既存の組織とは別に、若い人達数人に、期限を区切ってテーマを与え、結果を出させる。これは人材育成の一つの方法ではないかと思います。1990年代後半、新しい課題/問題が発生するたびに、期間限定の全社ミニプロジェクトがつくられ、良い結果を出してきました。
「苦労は、いつかは報われる。役に立つ。」
次に配属されたのは、金型の製作部署でした。プレスの金型の製作工程は、あらかじめラフに機械加工された、4m×2m×0.1mの鉄の塊を、人間が砥石と紙やすりで磨き続け、あのなめらかな曲面を創り出すのです。夏には、40℃・湿度80%以上の高温多湿の作業場での、人間の仕事とは思えない重労働です。まさしくこの道一筋、職人さんの世界です。精密測定器でも困難な、1~3/1000ミリを、手のひらで感じ取るのです。検査は、樹脂のモデルで作った治具で行うため、温度・湿度によって微妙に変化します。朝と夜、昨日と今日でも治具が変化するのです。正寸に近づけることは至難の業です。
なんとかして「もっと楽に仕事がしたい。」、「機械加工の精度を上げ、人間の手作業を極力減らしたい」と考えました。
曲面を加工するためのデータの高精度化(1/1000ミリ)、データを24H×360日連続で、工作機械に正確に伝送するため、光ファイバー・ルータの開発、超高速精度加工機など、世界で最先端の仕組をつくりあげました。
当時は、新しい技術に積極的に参画してくれる、コンピューターメーカー・工作機械メーカーがあり、日本のものづくりの底辺を支える技術者集団がたくさんいたのです。
今では、技術の進歩により、一対500万円のルーターが数万円に、光ファイバーの設置も容易になりました。工作機械や加工用データ作成ソフトも手ごろな価格になりました。世界中、どこでも誰でも、同じような金型が出来るようになりました。
皮肉なものですが、日本の市場に安住していた多くのメーカーは、海外のメーカーにとってかわられました。新しい仕組みを考えようにも、日本にはパートナーがいなくなってしまったのです。まだまだ日本の経済は、ものづくりによって支えられています。安くていいものは、外から買えばいいという議論はあります。グローバル化が進んだ世の中とはいえ、最先端の技術がすぐに導入出来るのでしょうか。
「すべての分野とは言いません。資源のない日本が、今後とも世界で今まで通り、生き延びるには、日本として守り続けたい分野・職種への継続的な支援があってもいいと思います。」
新しい設備を導入、加工精度を向上させたのに、型の製作日程が短縮出来ません。理由は2つ。
1つは加工物の鋳物の不良、2つ目は、設計不良/設計変更によるやり直しによるものでした。
分単位の作業計画と実績を、数字で比較をすることにより、問題点が浮かび上がってきたのです。機械加工の現場に行き、耳で切削音を、鼻で切削油の焼けるにおいをかぎ、目で、作業場の物の配置を確認すれば、もっともっと現実が理解できます。
例えば、物が散乱し、油が床にこぼれ、機械が大きな音をたてて動いていれば、すぐに何かがおかしいと気づきます。
もし、通信事情が5Gになり、IoTにより、多くの情報が容易に入手出来る世の中になれば、遠く離れた空調の効いた部屋からも、状況を確認出来るのかもしれません。でも、ときには、現場に出かけて行ってください。今まで気づいていない、新しい発見がそこにはあるかもしれません。現場は、新しいアイディアの宝庫です。
IoTベンダーさん曰く、「IoTでどんなデータも入手でき、即座に解析、フィードバック出来ます。」
本当ですか?現在、稼働しているIoT、膨大なノイズを収捨しているだけではないの。
データ解析も大変ですね。タイミングよく指示が出せてるのかなぁ。
とりあえずは、IoTメーカーに踊らされるのではなく、今、人間が測っているデータだけの自動化にしたらいかがですか。かなりの効率化がはかれますよ。
2つ目の設計不良/設計変更の解決は、難しい課題でした。
企画時よりも、もっと車輛性能を向上させたい。このままではライバル社に負けてしまう。
もっともな理論です。でも、物づくりをしている作業現場からの要望は、単純なものです。
今、仕掛けている作業を継続するのか、中止するのか。どの部分を修正すれば良いのか、ラフな情報でいいのです。
今までも多くの変更を受け入れてきた現場の方が、設計者よりも正しい判断をすることが多いのです。多くの設計者は横柄です。
技術者こそが、正しい判断が出来る。あやふやな情報は出せない。
多くの場合、一度修正依頼が来た部品/部位には、2度目・3度目の修正依頼が来るものです。待ちは負けです。情報を取りに行くのです。
後日、情報部門へ異動するきっかけを作ってくれた一つの案件。
車に関わるデータをすべて見える化したい。いつでも、どこでも、どこからでも。
・どこの会社にも、たくさんの問題点、連絡書が死蔵されています。これらのデータをAI分析し、「賢い設計くん」がつくれないものか
・AIに任せると、同じような発想の形しか出てこないかもしれないね
・どんどん学習させれば、いいもの、新しいアイデアも可能かもしれないよ
・情報の流し方には、いろいろなアイデアがあります
・ITを使った日程管理、プロジェクト毎に関係者を缶詰にし、情報交換・即断即決
・昔、クライスラーがやったように、大きなビルを建て、最上階は、役員室・管理部門。次の階は、設計部門、その次の階は、生産・製造と、情報が下の階に容易に流れるようなレイアウトです
・某大手自動車会社も、技術部と生産技術を統合し、意志決定を迅速化するようです
・水も空気も情報も、スムーズに流れてこそ、その価値が生きてくるのです
・よどみがあっては、役に立ちません
・よどみをみつけ、流れるようにすることが、管理者の役割です
生産技術部門を卒業後、電算部に異動になりました。当時の電算部は、ややもすれば、コンピューターの高技能集団でした。利用者のニーズに寄りそう形でのシステム開発は、あまり多くありませんでした。電算部に話をもっていっても何もやってくれない。多くの利用者の意見でした。
古いホストコンピューターで、一世代昔の言語と、データベースによる開発手法を採用していたのです。
いつでも、誰でも、どこからでも、同じ情報にアクセス出来る環境をつくりたいという、私の夢を実現したい。時代は、トヨタがグローバルに設計・生産・販売のオペレーションを拡大するタイミングでした。既存の情報システム全ての再構築です。
システムのレイヤーを、次の三層に分類、実行しました。
1.車輛開発や、生産準備のように、トヨタとして統一すべきシステム
2.調達や生産・物流のように、現地に即し、カスタマイズが可能な標準パッケージ。
3.販売など、各国の商習慣にあわせた、ローカル固有のシステム
車輛開発や、生産準備の分野では、設計道具の統一化により、データの共通化が図られ、開発プロセスが、直列型から、並列型に変更可能になりました。車輛の開発期間を大幅に短縮することが出来ました。調達の分野でも、設計データのデジタル化により、世界中の仕入れ先へ同じ情報が提供可能になりました。そして世界最適調達の実現に、一歩近づくことが出来ました。
グローバル化で一番の課題は、部品の物流です。最小限の在庫で、ジャストインタイムに、国や地域をまたいで、部品の相互供給可能な仕組みもつくりあげました。日本でも、ヨーロッパでも部品倉庫が半減できました。
これらの仕組が成功した要因は、3つあります。
1.新しい情報機器、情報処理技術の導入
2・車輛を構成する部品を管理する、部品表の更新
3.設計の道具、CADの刷新
部品表は、単に車輛の部品構成を表現したものです。しかし、その用途は膨大です。
製造会社・製造工程・使用材料・納入先・日時・個数・価格・組付順序・品質などの、車輛部品に関するすべての情報が紐づけられているのです。社内でも、部品表の再構築には、反対意見が多く寄せられました。不便さはあるものの、まだ利用可能であったこと、そして、何よりも開発に失敗すれば、世界中の工場が停止し、お客様に車を提供出来なくなるからです。既存データの移行も大きな課題でした。
日本だけで、設計・生産を行っている限り、部品表の仕組を変える必要はありません。しかし、まもなく日本・アメリカ・ヨーロッパ・東南アジア・中国など、世界各地での同時車輛開発と、部品の共有化が予定されていました。
グローバル化が進めば進むほど、製造業にも、金融業並みのオンライン・リアルタイムが必要になってきます。
毎年、1千万人もの新規お客様へ適切な品質の車を提供するためには、システムの刷新は不可避でした。情報システムは、すぐには出来ません。開発に長い時間がかかります。
情報システムの部門長には、会社の中長期ビジョンを理解し、半歩先の手を打つことが求められます。
そして、システムの再構築には、事前の準備がかかせません。経営トップの理解とユーザーの説得です。
ユーザーは、ややもすれば、現行の道具や仕組みにこだわります。仕事の仕方をかえたくはないのです。現状プロセス、システムの利用状況を徹底的に調査した結果、約7割もの機能が使われていないことが判明しました。情報システム屋の強みは、過去の利用状況を定量的に把握できるツールを持っていることです。全ての部署・全てのシステムの稼働状況を見える化し、ユーザーにシステム更新のうれしさを訴えました。そうやって賛同を得たのです。また、システム開発に際して、特に気を付けたことがあります。
1.最低10年、20年間にわたって、稼働可能なシステム環境、ハードウェア、D/B、言語
2.ユーザーに負担をかけない操作手順は極力かえない
3.旧システムとの互換性
日々連続して、業務は続きます。新しいシステムの導入教育は、せいぜい1週間です。
限られた時間内に教育を終え、仕入先も含めた一斉切替を可能にするには、大幅な操作手順の変更は、システム変更の障害になりかねません。人間はすぐにはかわれないのです。
山の頂上を目指して、一直線に登るよりも、回り道をしても、全員が一緒に山頂に到達することの方が重要です。多少、性能が落ちることも覚悟の上での判断です。
余談ですが、システム定着後の効果測定によると、設計モジュールでは、半分の人が、生産性が2倍、4割の人が、1・3倍、1割の人が、0.8倍でした。
全てのシステムの平均では、約3割以上の効果を得ることが出来ました。プロセスの変更と道具の更新による結果です。仕事のプロセス革新なくして、システム変更はあり得ません。そして、数年の年月をかけ、世界中の拠点、関連仕入先様へのシステムの導入・定着が完了しました。
いま思えば、入社時に教わった、「我が社は一度倒産しかけた会社です。誰からも、容易には、お金を貸してもらえなかった。世間は冷たい。全従業員が1年間生活できるお金を蓄えるべし」この体験を風化させず、新しい仕事にチャレンジし続け、「自分の城は自分で守る」という危機意識を、プロジェクト全員が共有出来たことが、成功への鍵ではなかったかと思います。
昨今、世の中コロナウイルス関連の話題でもちきりです。
日本には、さしたる資源はありません。誇れるのは人、勤勉で優しい人たちの集まりです。
2,30年後に団塊の世代が天国に召され、日本の人口が半減すれば、衣食住の国内完結が可能かもしれないという、シュミレーションもあるようですが、待ってはいられません。
ますますグローバル化は加速化するし、させなくては、貿易・金融・教育・文化・芸術面、全ての分野で遅れをとってしまいます。適切な在庫の確保と、自分たちの強みは何か、他に依存する分野は何かを知る必要があります。独自技術の手のうち化を図ると共に、一社でだめなら、補完出来る仲間づくりをするのも一つの方法です。製造会社にみられる2社発注も、国・地域をまたいだものにする必要があります。グローバルを、世界という概念だけにとらわれることなく、新しい仲間づくりだと考えれば、新しい、おもしろいアイデアも浮かんでくるのではないでしょうか。地域のなかで、お互いに競争していたお店どうしが、アイデアや材料、人材を共有する。職種を超えた集まりなど、失われかけた地域やコミュニティの活性化にも役立つと思います。
この言葉を聞くたびに、会社でのシステム開発を思い出します。あれも欲しい、これも欲しい。
7割の機能は、使用されていなかったにも関わらずです。人間の生活と、会社の仕組みを同じ土俵で論ずることには批判もあるかと思いますが、大量に捨てられる食品、売れ残る衣料品、手軽さゆえに使われ捨てられる大量のプラスチック・石油製品。身のまわりの行動を反省するよい機会です。
「小人閑居して不善をなす」。長い間の外出・移動の制限は、耐えられません。早急な解決法はみつかりませんかね。
つくづく日本人は、不思議な人種です。特に政府の法律で規制されたわけでもなく、まわりの雰囲気にのまれ、忖度し、行動する。人と変わったことはしたくない。日本人には、“ニッポンジン”というかしこまった漢字よりは、“にほんじん”という平仮名がよく似あう人たちの集まりです。
パンデミック、ロックダウン、オーバーシュートとカタカナの言葉を聞くたびに思い出します。日本人になじみのない文字を使って、おどろおどろしさを醸し出す。もう少し、他の表現は考えられないものでしょうか。よく分かりませんね。
昔、情報部門のトップは、経理担当の副社長でした。「お前たちは、横文字・3文字用語で話をごまかそうとするな」経理担当役員にとってみれば、ATMは、現金自動支払機であって、通信の多重化装置ではありません。CDは、キャッシュディスペンサーです。コンピューターもウイルスに感染し、風邪をひくのか。本当の話です。分かっていないのです。わかったふりをしているだけです。
ITをイットと発言した総理大臣もいました。関係者全員に、今起きている情報を正しく、やさしく伝え、理解を得ることこそが、目標を効率的に達成する手段です。もっともっと、絵や写真、数字を使った説明方法を取り入れる必要があります。状況の「見える化・可視化」は、課題を解決するための、有効手段の一つです。
20数年前、病院の仕組を再構築するときに、保険証をIC付きのものに更新しました。個人の病歴・治療の情報を記録し、どの病院でも利用したいと思いました。何度も何度も同じような検査をされることに、ウンザリしたからである。
検査方法は、日本全国標準化されているはずだ。他の病院での検査データは、信用出来ません。治療方法も間違っているかもしれません。今回のコロナウイルスの検査方法にも、いろんな種類があるようです。会社では、問題が発生した場合、被害を最小限にとどめるため、とりあえず大きな網を打ち、少しずつ真因に迫る方法がとられます。真因をみつけようとするあまり、時間をかけすぎると、被害の拡大をまねきかねないのです。今では、町の開業医さんも含め、コンピューターによる、医療システムの導入は、当たり前のこととなっています。病院独自の分野はあるものの、その多くは、共通化されたもののように思われるのですが。お役所の業務も同様ではなでしょうか。県・市町村毎に異なる印刷書式。
全国統一書式、発行者のみ変更すれば、システム維持の削減・役所窓口業務の省力化になりはしまいか。テレワークもしかり。事務処理業務など、在宅で可能な分野の切り出し、標準化など、もっと活用の範囲がありそうです。2日出勤、3日在宅。家での作業スペースの課題もあるが、もっとチャレンジしても面白い分野ではないかと思います。これだけ情報化が進んだ日本で、ITがもっと活用されないのか、不思議な感がします。チャンスだ。やってみればいい。ダメでも今なら元に戻れる。
東京一極集中の危険も分散され、にほんじんにとって、快適な未来が来るかもしれません。
自分の仕事を楽にしたい。と、いう独りよがりの目的のため、身近な分野での改善を積み重ね、結果を出しました。
最後には、会社全体にまたがる仕組まで変えることになりました。
1.実績をつくって信頼を勝ち取れ。
2.問題を定量的に分析、可視化・見える化で相手を納得させろ
3.同志をつくれ
世の中、お金はそこら中に転がっている。使い道を捜しているだけだ。
Zoom飲み会も何回か経験してヴァーチャル背景にも慣れた。すると、話そうとした途端に他の人とぶつかってどちらも話せないという経験が頻発するのが気になってくる。そもそもこんなに人数が多くてスレッドが一つなんてリアル飲み会ではあり得ない。それで実験的なツールを試しに使ってみた。スクリーンがミーティング空間。参加者の画面が小さな丸になってそこに配置される。近くの人は大きく、遠くの人は小さく。自分の丸を動かすことによって空間内を自由に移動できる。距離に応じて声の大きさが変化するので、パーティのように画面上でグループに分かれて話しができるというふれ込みだった。アイデアは良かった。しかし使ってみると声が不明瞭で聞き取り困難、残念ながら早々にZoomに戻るはめになった。
Byron Reevesが遠隔コミュニケーションでは声の質が映像の質よりもはるかに重要だと指摘したのはもう20年以上前だった。しかしCOVID-19は人もシステムも遠隔コミュニケーション化を強制的に急速に加速している。ZoomにSlackにDiscordにGitHubにと多様なツールを駆使して遠隔で国際ワークショップなどあっと言う間に当たり前になるだろう。
COVID-19への各国の対応は様々だ。政治体制と国民性が現れている。感染拡大を抑えるのに成功しているとされる台湾やドイツでは、優れたリーダーシップの下で、科学的思考に基づく機動的な意思決定、オープンで合理的な議論を通じた合意形成と信頼獲得、迅速で効率的な実装が実現できている。ドイツでは、化学の博士号を持つメルケル首相が自ら基本再生産数R0と言う専門用語を用いて、国民に対して直接外出制限の必要性を説明した。納得した国民が進んで外出を控えたと伝えられている。共同体のために皆で外出制限を守ろうという一体感も形成された。台湾では行政と情報技術の機動的連携によって感染者追跡やマスク配給のシステムを素早く実現した。
中国では武漢での感染爆発の混乱はあったものの、ひとたび封じ込め方針を決めるとわずか10日間で病院を建設してしまうなど短期間での実装を実現している。しかし意思決定は強力なトップダウンで丁寧な説明による合意形成とは程遠い。アメリカは対応が遅れた上に外出制限を巡って国内が二分した結果、感染拡大を有効に抑え込むのに失敗してしまっただけでなく、リーダーの強権的行動によって民主主義の危機が囁かれる事態を生んでいる。翻って日本は、あらゆる対策が間違っているのになぜか犠牲者が奇跡的に少ない謎の国と外国からは評されているようだ。意思決定・実装ともに機動的とは言い難いものの、施策自体は的を外していないようだ。何よりも人々の行動変化は早く足並みが揃っている。
Clinton大統領の下で労働大臣を務めたRobert Reichが、2018年に出版した『The Common Good』という本の中で、米国は個人の自己利益追及が行き過ぎた、もっと共同体にとっての共通の善(Common Good)の追求に軸足を移すべきだという主張をしている。たとえば、買収した製薬会社の独占生産を利用して、生命に関わる薬の価格を一挙に50倍も値上げをした実業家や、法律の抜け道を利用した節税を富裕層に指南する弁護士などを、Common Good無視の自己利益追求行き過ぎの例としてあげて批判するとともに、米国社会全体へ向けてCommon Goodの復権を訴えた。
COVID-19はCommon Goodを巡る世界の状況変化を前景化している。「行動制限は自分の自由の侵害だから認められない」から、「共同体の安全を守るために行動制限を受け容れよう」へと、個人の自己利益追及がすべてでなく、共同体にとってのCommon Good尊重へと、人々の価値観が目に見えて変化している。少し前まで怖れを知らない革新の精神を象徴するとしてもてはやされた”Move fast and break things” あるいは “It’s always easier to ask forgiveness than it is to get permission” のような標語も、革新を目指す個人に注目した標語であって、必ずしもその称揚する方向がCommon Goodと合致するかどうか定かでない。そのような考慮の手前で思考停止している。ソーシャルネットワークをはじめとするインターネットサービスも、世界中の人々を繋ぐという美しい言葉の背後に、実は容赦の無い利潤追求優先があることが見透かされて、Common Goodからの乖離に気づいた人々から批判が拡大している。
Common Goodとは何なのだろうか?誰がどういう基準でこれがCommon Goodだと決めるのだろうか?Common Goodは外から与えられるものではない。特定の力を持つ者が上から決めるものでも、ましてやAIが与えてくれるものでもない。共同体が内発的に作り出すものだ。人々が開かれた議論を通じて、合意形成と信頼醸成を経て自分たちで作り出す。COVID下のZoomのように、情報システムにはその方法とスコープを急激に変化・拡大する力がある。さらに社会システムの適切な追随が必要だ。しかし何よりも、生産的な議論を主体的に構築することのできるタフな人々が基盤になる。
COVIDのトンネルの向こうには、情報システムに支えられて、科学的思考、オープンな合意形成、迅速な実装を実現し、Common Goodを追求する情報社会が必ずあるはずだ。次には地球温暖化のトンネルが待ち受けているのだから。