■COVID-19が加速させた遠隔コミュニケーション化
Zoom飲み会も何回か経験してヴァーチャル背景にも慣れた。すると、話そうとした途端に他の人とぶつかってどちらも話せないという経験が頻発するのが気になってくる。そもそもこんなに人数が多くてスレッドが一つなんてリアル飲み会ではあり得ない。それで実験的なツールを試しに使ってみた。スクリーンがミーティング空間。参加者の画面が小さな丸になってそこに配置される。近くの人は大きく、遠くの人は小さく。自分の丸を動かすことによって空間内を自由に移動できる。距離に応じて声の大きさが変化するので、パーティのように画面上でグループに分かれて話しができるというふれ込みだった。アイデアは良かった。しかし使ってみると声が不明瞭で聞き取り困難、残念ながら早々にZoomに戻るはめになった。
Byron Reevesが遠隔コミュニケーションでは声の質が映像の質よりもはるかに重要だと指摘したのはもう20年以上前だった。しかしCOVID-19は人もシステムも遠隔コミュニケーション化を強制的に急速に加速している。ZoomにSlackにDiscordにGitHubにと多様なツールを駆使して遠隔で国際ワークショップなどあっと言う間に当たり前になるだろう。
■各国の対応に現れた政治体制と国民性
COVID-19への各国の対応は様々だ。政治体制と国民性が現れている。感染拡大を抑えるのに成功しているとされる台湾やドイツでは、優れたリーダーシップの下で、科学的思考に基づく機動的な意思決定、オープンで合理的な議論を通じた合意形成と信頼獲得、迅速で効率的な実装が実現できている。ドイツでは、化学の博士号を持つメルケル首相が自ら基本再生産数R0と言う専門用語を用いて、国民に対して直接外出制限の必要性を説明した。納得した国民が進んで外出を控えたと伝えられている。共同体のために皆で外出制限を守ろうという一体感も形成された。台湾では行政と情報技術の機動的連携によって感染者追跡やマスク配給のシステムを素早く実現した。
中国では武漢での感染爆発の混乱はあったものの、ひとたび封じ込め方針を決めるとわずか10日間で病院を建設してしまうなど短期間での実装を実現している。しかし意思決定は強力なトップダウンで丁寧な説明による合意形成とは程遠い。アメリカは対応が遅れた上に外出制限を巡って国内が二分した結果、感染拡大を有効に抑え込むのに失敗してしまっただけでなく、リーダーの強権的行動によって民主主義の危機が囁かれる事態を生んでいる。翻って日本は、あらゆる対策が間違っているのになぜか犠牲者が奇跡的に少ない謎の国と外国からは評されているようだ。意思決定・実装ともに機動的とは言い難いものの、施策自体は的を外していないようだ。何よりも人々の行動変化は早く足並みが揃っている。
■Common Goodを巡る世界の状況変化
Clinton大統領の下で労働大臣を務めたRobert Reichが、2018年に出版した『The Common Good』という本の中で、米国は個人の自己利益追及が行き過ぎた、もっと共同体にとっての共通の善(Common Good)の追求に軸足を移すべきだという主張をしている。たとえば、買収した製薬会社の独占生産を利用して、生命に関わる薬の価格を一挙に50倍も値上げをした実業家や、法律の抜け道を利用した節税を富裕層に指南する弁護士などを、Common Good無視の自己利益追求行き過ぎの例としてあげて批判するとともに、米国社会全体へ向けてCommon Goodの復権を訴えた。
COVID-19はCommon Goodを巡る世界の状況変化を前景化している。「行動制限は自分の自由の侵害だから認められない」から、「共同体の安全を守るために行動制限を受け容れよう」へと、個人の自己利益追及がすべてでなく、共同体にとってのCommon Good尊重へと、人々の価値観が目に見えて変化している。少し前まで怖れを知らない革新の精神を象徴するとしてもてはやされた”Move fast and break things” あるいは “It’s always easier to ask forgiveness than it is to get permission” のような標語も、革新を目指す個人に注目した標語であって、必ずしもその称揚する方向がCommon Goodと合致するかどうか定かでない。そのような考慮の手前で思考停止している。ソーシャルネットワークをはじめとするインターネットサービスも、世界中の人々を繋ぐという美しい言葉の背後に、実は容赦の無い利潤追求優先があることが見透かされて、Common Goodからの乖離に気づいた人々から批判が拡大している。
■トンネルの向こうに
Common Goodとは何なのだろうか?誰がどういう基準でこれがCommon Goodだと決めるのだろうか?Common Goodは外から与えられるものではない。特定の力を持つ者が上から決めるものでも、ましてやAIが与えてくれるものでもない。共同体が内発的に作り出すものだ。人々が開かれた議論を通じて、合意形成と信頼醸成を経て自分たちで作り出す。COVID下のZoomのように、情報システムにはその方法とスコープを急激に変化・拡大する力がある。さらに社会システムの適切な追随が必要だ。しかし何よりも、生産的な議論を主体的に構築することのできるタフな人々が基盤になる。
COVIDのトンネルの向こうには、情報システムに支えられて、科学的思考、オープンな合意形成、迅速な実装を実現し、Common Goodを追求する情報社会が必ずあるはずだ。次には地球温暖化のトンネルが待ち受けているのだから。