イノベーションごっこはやめよう
多くの企業では、イノベーションを経営テーマに掲げる。経営陣の多くは、 AIやクラウドという言葉に焦りを感じ、さらには他企業と組むことを標榜し、 本来は手段を表すそれらの言葉を目的のように用い、優秀な社員を集めて、「オープンイノベーションを起こせ。」と号令をかける。「イノベーション難民」がこの数年、顕著になっている。それは、見識なしに新規事業探索部門を作った結果、どうしたら良いかわからない人材が増えている現象だ。日本語ではベンチャー企業と呼ばれる小さな会社を英語ではスタートアップという。「立ち上げる」という意味で、新規事業開拓のために起業された会社を言う。その中で情報通信技術を背景に起業された会社が技術系スタートアップだ。この種の会社に対して、多くの伝統的既存産業に勤めるオジさん・オバさんは、ジーンズを履いて、会社ロゴをプリントしたTシャツを着た、ちょっとチャラい若者か若者気取りの中年が、展示イベントでデモをして、ビジネスモデル設計を後回しに夢を語って、デモの打ち上げでは味の薄い瓶ビールを片手に「イノベーション」という言葉にハシャイデいるという印象を持つのではないかと思う。半分は当たっている。
AIとデジタル変革の本質を理解しよう
情報技術(IT)業界では、「それをやってはダメでしょう」という失敗パターンをアンチパターンという。ここで二つのアンチパターンを命名したい。一つは「魔法の言葉」だ。1990年代 ニューロ・ファジィ家電という言葉があった。洗濯機、エアコン、電子レンジに人間の思考や行動の曖昧さを取り入れたと謳う家電製品が登場した。その実態はマイコンと呼ばれる家電を制御するコンピュータ部品を導入した自動化だった。その技術のキャッチフレーズが「ニューロ・ファジィ」、「魔法の言葉」というアンチパターンは、「ユーザーへの提供価値を訴求するのではなく、ユーザーには本質が理解できない技術用語で先進性を訴求して製品・サービスを売る」ことを指す。近年はAI(人工知能)が、その魔法の言葉になりつつある。 AIという言葉を使えば、「よくわからんがなんかすごいそう。人間と同等の知性があるのでは」という魔法をユーザーにかけるような事例が多い。
次のアンチパターンが「手段の目的化」だ。これは「IT分野の流行り言葉に踊らされた経営陣が本来の目的と手段を取り違え、流行りの手段を目的にプロジェクトを進めた結果失敗し、以後、その手段が禁忌となってしまう。」ことをさす。結果として魔法の言葉の使い手によって焼畑農業のように多くの企業の新規事業部門が次から次へと燃えて無くなっていく。企業が生き残るにはデジタル変革(DX)は不可欠だ。競争相手の経営効率化は進むし、デジタルを使った連携ビジネスも生まれる。生き残るには「デジタル」という意味でAIとDXを使うしかない。
アンチパターンである「魔法の言葉」と「手段の目的化」を避けるにはどうしたら良いか。「ITそのものには興味がない。技術提案は一切聞かない。ITの開発よりもITを使う方がボトルネックだ。使い方を鍛えなければならない。」と土屋哲雄ワークマン専務取締役(当時)は言う。ワークマンの行なっているデータ経営の基本は、どのような製品を開発し、どれだけ調達し、店舗に配置し、どのように販売するかというサプライチェーンマネージメント(SCM)の全社員による最適化だ。それをマイクロソフト社が開発し販売しているエクセルという表計算ソフトだけで行なっている。大事なのは手段じゃない、新規事業創出という目標とそれを追いかける情熱だ。そのために枯れた技術を使い切る。
組織文化を変えよう
東京大学の森川博之教授らと共同で毎年数十人の情報通信技術(ICT)企業の中堅技術者と起業家を集めて合宿をやっている。 7年前の合宿でイノベーション難民を救うべくSONY執行役員の島田 啓一郎氏(当時)と一緒にまとめた「大企業でやるイノベーションの条件」というのがある。それは以下の5条件からなる。
1.資産の利用
2.最上位の企業理念に合致
3.本社・本業から隔離
4.トップの支援・権限委譲の明言
5.制度整備への対応
1と2は分かりやすい。新規事業を起こすのに、その会社の経営理念、人材、技術・知的財産、製品・サービス、文化・風土、ブランドを利用する。そうしないのであれば、独立して起業すれば良い。重要なのは3だ。失敗を前提として新しい事業ネタを探すためには既存事業とは違う行動規範が必要となる。経営者によっては、「私の直下でやれば良いんだ。」という人もいる。その人がリスクを負うスーパーな社長なら正しい。敢えて極論を言うと、安定志向のフツーの社長直下ではダメだ。新規事業は既存事業と競合することが多い。これまでの商流を壊したり、他部門や取引先と重複した製品やサービスと見なされると「調整」という作業に膨大なエネルギーが中間管理職で費やされる。 また、複数の幹部を集めリスクのない新規事業を探す傾向が強くなる。それは失敗のしようのない凡庸な計画となってしまう。次に大事なのが4だ。隔離した組織は自律的に運営することが重要だ。未来への不確実さに対応するために、予算と権限が経営陣から委譲されていなければならない。5は技術・市場の進化に法制度が追いつかない状況で、環境整備しろと言っている。 遠隔医療、ドローン、自動運転、仮想通貨などがその好例だ。5条件を満足する良い例はないか?
筆者は6年前にNTTドコモにおいて39worksというプログラムを作った。そのプログラムの下で自分が興した新規事業が(株)みらい翻訳だ。それを5年間半、大学の教員とみらい翻訳の社長を今年6月まで兼務していた。なぜ、本体でこの新規事業をやらなかったのかはお分かりかと思う。学んだことは以下の2つだった。
1.研究と事業は一体と考えて、事業として研究を行う高速開発能力が必須となる。2.ローカルデータに注目してそれを収益化できるかどうかが生死を分ける。世界同時進行で最新技術が開発され、その陳腐化(コモディティ化)が一気に進むために難しい論文を読む一方でそれを即座に実装する能力が問われている。研究と実装なしに事業化はなく事業化なしにデータは集まらない。 ローカルデータの存在も必須だ。「ローカル」とは米国や中国の巨大ITグローバル企業が扱わないという意味だ。例えば医療現場の会話、どこにも出したくない契約文書、知財交渉の記録が例になるだろう。データがローカル(局所的)に偏在しているところに日本企業の商機がある。本社・本業から隔離され成功まで失敗を繰り返すには勇気と熱意がいる。追加条件があるとすれば、それは現場の事業化への情熱だろう。その熱量が組織を回すエネルギーとなる。近年、新規事業に別会社を作る例が増えている。5条件+情熱の観点で見てみると良い。本気度がそれで分かる。
個人のマインドセットを変えよう
富士通株式会社シニアフェローの宮田一雄氏は「ソフトウェアをアメリカはビジネスにした。ヨーロッパは科学にした。そして日本は製品にした。日本は製造業のアナロジーでIT産業を捉えてしまったから、DXをできないでいる。」と言う。原典はマサチューセッツ工科大学クスマノ教授の著作「ソフトウエア企業の競争戦略(2004)」にある。 日本では、ソフトウェア業界は受託と納品で儲かっていた。「プロジェクトマネージャー」と「プロダクトマネージャー」の違いをご存知だろうか。前者は多くの企業の管理職の業務として良く聞く言葉で、それは与えられた計画を実行するリーダーを意味する。一方で、後者のプロダクトマネージャーはその製品の事業について責任を負う「製品CEO」だ。言葉は似ているが後者は常に経営判断する資質が要求される。このためにソフトウェア業界ではプロジェクトマネージャーがいても、プロダクトマネージャーが育たなかった。私の経験では世に必要な技術者は3種に分類される。職人、研究者、イノベーターの3つだ。経営者は技術部門に対して2つのことを期待する。一つは事業部門の求めに応じて技術を提供する受託開発である。これに対応するのが職人型技術屋、略して職人だ。現場から信頼され、自分の腕で問題解決と製品開発を行って事業貢献を実感する。 経営者のもう一つの期待は、技術で新規事業を起こすことである。ピカピカの新規技術の開発が前提とされるので、必要な人材は職人ではなく研究者となる。彼らは世界トップを走る自分の先端技術が事業に繋がることを夢見る。彼らにとって所与の世界は実にイゴコチが良い。しかし、ここに見えない線引き文化がある。経営層は職人には「君らは技術を磨きなさい、君らの仕事は事業を見ている僕たちが与えるから。」、研究者には「新規事業のネタになる世界トップ技術を提案してね。良ければ採用して事業は僕らが考えるから。」と考えがちだ。ここに大きな落とし穴がある。それに気づいている企業人は、以下の文章を読む必要はない。そうでない人は、産学の人材育成を考え直す必要がある。情報通信分野は新規技術そのものよりも、想定した新規事業に合わせて最良の技術を組み合わせる設計が大事になる。初期段階からビジネスモデル設計と技術開発を同時に行うことが重要となる。それができる人は技術者の枠を超えて世の中を知り尽くした「スレた技術屋」だ。ここではカッコよくイノベーターと呼ぶことにする。
イノベーター人材育成が重要だ。それに対して企業では属人的な教育しかなく、大学はトップ研究者育成志向から抜けきれない。世の中の研究開発の生産性を上げたいなら、技術だけでなくビジネスを同時に教えるべきだ。最新の技術開発とビジネスモデル設計が同時並行して進む破壊力を想像して欲しい。技術屋を「技術」に押し込んではだめなのである。技術と事業は不可分である。このマインドセットを技術者に持って欲しい。地べたを這って仕事を「自分ごと化」できる人でないと、新規事業はできない。自分ごと化は会社の問題を自分の問題として一人称で主体的に捉えることで、どんな会社でも必要だ。
社会システムデザインセンター(SSDC)への期待
「現在の社会生活で解決したい課題をAI ・IoT・ロボを活用しビジネスとして成り立たせる」がこの組織のビジョンとして述べられている。これは,私が述べた「技術が分かっている人材が職人に成り下がっては行けない」という主張と一致する。私はこの組織で技術とビジネスの両方がわかる「スレた技術屋」を育てたい。スレた技術屋は自分の領域で生まれる単品製品だけでなく、産業横断の化学反応を起こせるカタリストにもなれる。そうすれば、ソフトウェアをビジネスにできる。体系的知識に加えて、スレた技術屋になれるスキル、そして、世の中を変えていこうと思う情熱をこの組織で涵養していきたい。